1. 30歳になっても、やりたいことを

ジャクソンさんは、1961年9月、英国ロンドンで生まれました。7さいのころにアメリカへ移り、3人兄弟の真ん中として育ちます。子ども時代の多くをテキサス州ヒューストンで過ごし、スポーツが大好き。特に野球が好きな少年でした。

家族とは、キャンプや山登り、りなど外で過ごす時間をよく楽しみました。お父さんの仕事の関係で引っしが多く、そのたびに友だちと別れるのはつらかったそうです。それでも愛情深い家族に支えられ「良い子ども時代だった」とり返っています。

子ども時代

高校では、成績がとても良かったこともあり、好き勝手なことをしていたそうです。科学と数学が得意だったので、将来は化学エンジニアになろうと考えたジャクソンさんはその分野で実績のある地元ヒューストンのライス大学に進み、化学工学を学ぶことにしました。そして大学卒業後、世界最大級の化学メーカーであるダウ・ケミカル・カンパニーに就職し、ロサンゼルスで化学エンジニアとして働き始めます。仕事は楽しかったそうです。けれど、心の中に新しい夢が育っていきました。

かんきょうを研究して、大学の教授になりたい。」

夢を実現するため、昼間はフルタイムで働きながら、夜はカリフォルニア州立大学フラトン校の夜間講座で植物学を学び、週末には山やばく、海へ出て野外で学びました。熱心に指導してくれた先生との出会いもあり、「もう一度、大学で環境を学びたい」という思いは日ごとに強くなっていきました。

でも、ジャクソンさんには迷いもありました。
「会社を辞めて大学にもどりたい。でも大学を卒業するころには30歳をえてしまう。不安だ。」

ある日ジャクソンさんはこの迷いをお父さんに打ち明けました。するとお父さんは、思いがけずこう言いました。
「君はどのみち30歳になる。その時、好きなことをやっているほうがいいんじゃないか。」

その言葉に背中をされ、ジャクソンさんは4年間勤めた会社を辞め、学問の世界へ進む決断をしました。

ジャクソンさん

会社を辞めたジャクソンさんは、ユタ州立大学の大学院で生態学を学びます。生態学は環境科学の入り口になる学問であり、将来のキャリアのためにも生態学の博士号が必要だと考えたからです。ユタ州立大学に進んだ理由は、研究に適した自然が豊かな場所だったこと、そしてユタ州に近いイエローストーン国立公園で鳥類学の研究をしていた、のちの妻サリーさんといっしょに暮らすためでした。

植物の根も土の中にいる多くのせいぶつも、おたがいにえいきょうを持ちながら、二酸化炭素やメタンの土から大気への放出を左右します。ユタ州立大学での研究は、植物が土の中でどのように養分や水分を吸収しているのか、つまり植物の「根」の世界に深く入っていくものでした。この研究は、のちにかれが「根」に関する生物学と生態学の第一人者となるための土台となりました。

1992年、博士号を得たジャクソンさんは、エネルギー省の助成金を得て2年間、スタンフォード大学で気候変動の研究を行います。これは、大気中の二酸化炭素のうじょうしょうが草原の生態系におよぼす影響を調べる研究でした。そこで出会ったのが、2002年にブループラネット賞を受賞した生物学者、ハロルド・ムーニー教授です。この出会いが、ジャクソン教授を気候変動や温室効果ガスの研究へと導いていきました。

2年間の研究を終えた後、ジャクソン教授はテキサス大学オースティン校の植物学部で助教授を務め、1999年にはノースカロライナ州のデューク大学へときょてんを移します。そこで研究のはばを広げながら、2003年には教授となり、約15年間にわたってデューク大学で研究を重ねました。そして2014年からは、スタンフォード大学地球システム科学科教授として研究生活を続けています。

2. 土の中で起きていること

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ロバート・B・ジャクソン教授

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