3. 絶対に避さけなければならないこと

ティッピング・エレメント

気候の変化はスケールが大きいのに、目に見えにくいものです。だから、地球温暖化問題といっても、気温が上がるのは少しずつだろうし、それで何かが変わるとしてもやっぱり少しずつだろう、止めようと思えばいつでも止められそうじゃないか……どこかそんな風に感じませんか?しかし、ことはそれほど単純ではありません。
緩ゆるやかな坂道をころころと転がっていくボールがあったとしましょう。ボールは一定のペースで少しずつ転がり落ちていきますね。しかし、その先が崖がけになっていったらどうでしょう。崖の先せん端たんまで到とう達たつしたとき、ボールは突とつ然ぜんすごいスピードで崖の下に落下します。崖の上に戻もどることはもうできません。

地球温暖化によってもたらされる変化も、実はこれに似ているのです。少しずつ変化していたはずなのに、「あるところ」まで気温が上がってしまうとスイッチが入ってしまって急激な変化が訪れ、それを止められなくなってしまう……そんな性質を持っています。この、ひとたび越こえれば取返しのつかない「あるところ」を、「ティッピング・ポイント(転てん換かん点)」といいます。

教授は、このティッピング・ポイントを越えて起こりえる急激な変化の中でも、特に大規模で地球環かん境きょうに決定的な影えい響きょうを与あたえる10余りの現象をリストアップしました。これを地球システムにおける「ティッピング・エレメント」といいます。いずれも、人類にとっては重大な脅きょう威いとなりえる現象です。

地球システムにおけるティッピング・エレメント

地球システムにおけるティッピング・エレメント。極地など雪や氷に覆おおわれた地域の氷の融ゆう解かい(青)、大気や海洋の循じゅん環かんシステムの変化(赤)、生態系の変化(緑)に大別されます。

例えば、北極海と北大西洋の間にある世界最大の島・グリーンランド島は、その島の大半が氷ひょう床しょうに覆おおわれています。その氷床が、気温が上がることによって融とけてしまうと予測されています。もしすべて融けてしまったら、最大で7m海面が上じょう昇しょうすることになります。

さらに巨きょ大だいな南極大陸の氷床にも、融ゆう解かいの可能性があります。この南極大陸は西側と東側でちょっと事情が違ちがい、西側のほうが状じょう況きょうは深刻です。南極大陸はそのほとんどが厚さ平均1.6kmにもなる分厚い氷床で覆われており、その下には岩がん盤ばんがあるのですが、西南極の岩盤はその大部分が水深数百メートル以上の海中にあり、岩盤と氷床の間に海水が入り込こむことで氷床の融解が進むおそれがあるのです。それに比べると東南極のほうは安定していますが、こちらも部分的に崩ほう壊かいする可能性があります。
もしグリーンランドと南極の氷床が全て融けてしまったら、実に70mもの海面上昇が起こり、現在の沿岸地域はほとんど海の下に沈しずんでしまうと予測されています。

グリーンランドの氷ひょう床しょうの融ゆう解かいは、さらに別のティッピング・エレメントである「海洋大循じゅん環かんシステムの減速」の引き金になる可能性もあります。
グリーンランド沿岸部の海水は塩分濃のう度どが高く、かつ冷たいため高密度であり、大西洋の海底に沈しずみ込こむ性質を持っています。この動きがコンベヤーベルトのように地球上を循環する海流を創り出しています。
ところが淡たん水すいである氷床が融とけるとグリーンランド付近の海水が薄うすまってしまい、海底に沈みこまなくなります。結果、海洋大循環は減速し、さらには止まってしまうかもしれません。海流には暖かい空気や冷たい空気を運んで気候を調整する重要な働きがあり、もし止まってしまったら、北大西洋の暖流が高緯い度どまで来なくなることでヨーロッパが急激に寒冷化するなど、世界の気候が今とは全く違ちがうものになってしまうかもしれないのです。

生態系にも深刻な影えい響きょうが出るでしょう。広大なアマゾンの熱帯雨林は地球上の熱帯雨林の実に半分を占しめる生態系の宝庫ですが、近年、森林破は壊かいや森林火災により減少を続けており、地球温暖化の影響による降雨量の減少がそれを加速させることが懸け念ねんされています。熱帯雨林への降雨は、その大部分が熱帯雨林自体から蒸発した水を由来としているため、森林の減少が加速するとさらに降水量が減り、さらに森林が減る……という悪循じゅん環かんを引き起こし、地球全体の気候にも甚じん大だいな影響が出ると考えられています。
また、暖かい海のサンゴ礁しょうは生態系の宝庫ですが、水温の変化や海洋酸性化に極めて敏びん感かんで、もうすでにサンゴ礁の白化や死し滅めつが世界各地で確認されています。

たった数度、平均気温が上がるだけで、このように予測もつかない事態が次々と起こる可能性が出てくるのです。
教授はティッピング・エレメントのことを人間の体でいう心臓や腎じん臓ぞうなどの重要な器官に例えています。人間はちょっと肌はだを切られたくらいでは死にませんが、心臓を刺さされたら死んでしまいます。ティッピング・エレメントは、地球にとってそれほど重大なものなのです。

こうした脅きょう威いを避さけるためには、それぞれのティッピング・エレメントにスイッチが入らないこと、すなわち、そこまで気温を上げないことが重要になってくるわけです。

2℃までの意味

では、どこまでで気温上じょう昇しょうを抑おさえるべきなのか。これが難しいところです。
この図では、主なティッピング・エレメントについて、それぞれ、どれくらい気温が上がったらスイッチが入ってしまう(ティッピング・ポイントを越こえる)可能性があるかが示されています。

予測できる気温にはどうしても幅はばがあります。
例えば、グリーンランドの氷ひょう床しょうが融とけ始めるのは、気温が1℃〜4℃上がった時だと考えられています。運がよければ4℃上がるまでもつかもしれませんが、運が悪ければ1℃上がればもう融け始めるかもしれないということです。

Tipping Points Related to 2℃-Guardrail

本当は1℃たりとも気温を上げないことが望ましいでしょう。しかし、すでに気温は上がり続けています。正確に言えば地球温暖化を完全に「防ぐ」ことはもうできず、「抑おさえる」「緩ゆるめる」ことができるだけなのです。それでもせめて「容認できる範はん囲い内」に抑えなくてはなりません。

そのようなことを考え合わせて、後にパリ協定で合意された2℃目標、すなわち、2℃よりも十分に低く抑えるとともに、1.5℃までに抑えるよう努力する、という指標が生まれました。

図で、真ん中を横切っている“Paris range”と書かれたグレーの帯の部分が2℃〜1.5℃の範はん囲いです。これを見ると、気温上じょう昇しょうを2℃〜1.5℃までに抑おさえられれば、アマゾン熱帯雨林への影えい響きょうなど、右側の8つのティッピング・エレメントは回かい避ひできそうです。

一方、例え気温上昇を2℃〜1.5℃までに抑えられたとしても、西南極の氷ひょう床しょうの融ゆう解かいなど、左側の5つのティッピング・エレメントについてはスイッチが入ってしまうかもしれないのがわかります。もし2℃目標が達成されたとしても、現在のサンゴ礁しょうの生態系はほとんど消しょう滅めつすると予測されています。

それでも、気温上昇を抑えれば抑えるほど、これらの脅きょう威いを避さけることができる可能性は高まります。

Tipping Points Related to 2℃-Guardrail

図の右側には、将来の気温上じょう昇しょうの推移を4つのシナリオに分けてシミュレーションした結果が示されています。このまま人類が化石燃料に依い存ぞんして二酸化炭素を排はい出しゅつし続ければ、待っているのはRCP8.5(赤)のシナリオです。これでは、気温は8℃以上も上昇してしまい、全てのティッピング・エレメントにスイッチが入ってしまいます。

そして二酸化炭素の排出削さく減げんに向けて世界が最大限に努力した場合のシナリオがRCP2.6(緑)です。もしこのシナリオを私たちが実現できれば、気温は1.5℃まで上がらず、逆にある時点からは下がっていきます。2℃目標を達成することができるのです。

Tipping Points Related to 2℃-Guardrail

大変なチャレンジだとしても、人類はこれを目指すしかない。だから、シェルンフーバー教授は「2℃」というキーワードを強く打ち出すようになったのです。

4. 世界中の約束

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ハンス・J・シェルンフーバー教授

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