3. 短寿じゅみょう気候せん物質

地球温暖化と大気汚染を起こす物質

ラマナサンさんはその後、1976年より加わった国立大気研究所(NCAR)において、気候学者ローランド・マッデン氏と共に研究に取り組み、地球温暖化の兆候はおそくとも2000年には現れるだろうとの予測を1980年に発表します。そして残念なことにその予測は的中してしまいます。しかし一方で実際の地球温暖化の程度は、かれらの予測より低いものでした。

1981年、37歳

1981年、37さい
NCARの研究者とともに(左から3人目)

ラマナサンさんたちはなぜ温暖化の程度が予測よりも小さかったのか考えました。そして、自分たちの想定とは異なる何らかのれいきゃく作用があるのではないか、その作用は大気汚染物質が原因ではないかという予想を立てました。
ここからラマナサンさんの真価が発揮されます。何でも自分でやってみなければ気が済まないというあの姿勢です。彼は冷却効果があるのならば実際に観察してみようと、1995年、パウル・クルッツェン博士(ノーベル化学賞受賞)とインドのミトラ博士らといっしょにインド洋実験という国際実験を考案します。6か国から200人以上の科学者が集まり、衛星データの収集や6機の飛行機、2そうの船による観測等が行われたこの大規模プロジェクトは1998年から1999年にかけてじっされました。

この実験で厚さ3キロメートルにもわたる大気汚染物質をふくきょだいな雲、いわゆるかっしょく雲がアラビア海、ベンガルわん、インド大陸の大半を覆っていることを観測し、その褐色雲が10~15%ほど太陽光をさえぎっていることが解りました。褐色雲の大部分は、エアロゾルと呼ばれるりゅうでできていました。また、褐色雲を形成し太陽光を遮るエアロゾルが、2つのカテゴリーに分類されることもわかりました。1つ目のカテゴリーは、りゅうさんえんしょうさんえんのエアロゾルとよばれるもので、鏡のように作用することで太陽光を宇宙空間に反射して地球を冷却する効果があります。2つ目のカテゴリーは、太陽光を吸収し地球を温暖化するブラックカーボン(黒色炭素、すす)です。

ブラックカーボンは炭の燃焼、ディーゼルエンジンのはい、コンロや調理器具での調理などによって発生した煤のことです。温室効果ガスは熱を吸収し、ブラックカーボンは太陽光を吸収し、どちらも地球を暖めます。いっぽう化石燃料の燃焼が生成原因である硫酸塩や硝酸塩は、太陽光を反射し地球を冷却します。エアロゾルの冷却効果が温室効果ガスによる温暖化の一部を相殺したことが、ラマナサンさんたちの予測より地球温暖化の程度が低かった理由だったのです。
さらに別の問題もあります。褐色雲を形成するブラックカーボン、ならびに硫酸塩や硝酸塩の微粒子は、どちらも人間の健康に重大な問題をもたらします。これらの両方のりゅうが原因で、ぜんそく、肺がん、心血管しっかんにより世界中で600万人以上が早死にしています。また、褐色雲をつくるブラックカーボンなどの物質が、太陽光が海にとうたつするのをさまたげると、海からの水の蒸発量が少なくなり、その結果、陸地で雨が降る量が減り、干ばつが起きるのです。

褐色雲が引き起こす、こうした気候や健康へのえいきょうは、大気汚染を世界中で規制するための理由になるだろうとラマナサンさんは語っています。ただし、大気汚染物質の排出を規制し減少させていくに当たっては注意すべきことがあります。それは、大気汚染は一つの地域や国だけで解決できる問題ではないということです。これまでの調査によって、アメリカで発生した汚染が大西洋をおうしゅうに届き、東アジアからの汚染が太平洋を越えて米国に届いていることなどが確認されています。大気は世界中をめぐっているため、地球全体で大気汚染を防がなければなりません。「新型コロナウィルス感染しょうと同様、どこかで排出された大気汚染物質は、世界中の至るところに、じょじょに影響をあたえるでしょう。」とラマナサンさんは言っています。

インド洋実験の後、ラマナサンさんは温室効果ガスや褐色雲による気候問題をいかにして解決するべきかを研究し始めました。注目したのは二酸化炭素よりも同じ重量あたり温暖化への影響が大きい4つの物質(メタン、オゾン、ハイドロフルオロカーボン、ブラックカーボン)でした。これらの物質のとくちょうは排出された後、大気中にとどまる時間が短いことです。二酸化炭素が100年~1000年ほど大気中に留まるのに比べ、メタンやオゾン、CFC類の代わりとして開発されたハイドロフルオロカーボンは10年、ブラックカーボンに至ってはわずか10日間ほどしか大気中に留まりません。これは何を意味しているのでしょうか。もしも今日、世界中のディーゼル車にフィルターを装着したら、そのフィルターによってブラックカーボンは除去され、ディーゼル車からのブラックカーボンは新たに大気中に排出されなくなります。すると現在大気中にあるブラックカーボンはすぐに無くなるので、ブラックカーボンによる大気汚染も無くなり、温暖化のスピードも遅くなります。

もちろんブラックカーボンは石炭の燃焼やたきなどディーゼル車以外からも排出されるので、これはあくまでも単純化した例ですが、世界中でメタン、オゾン、ハイドロフルオロカーボン、ブラックカーボンの排出をさくげんできれば、実際に地球温暖化のスピードをおおはばゆるめることができるのです。
ラマナサンさんはこの4つの物質を、大気中に留まる時間が短いという特徴から短寿命気候汚染物質(SLCPs)と名付け、これらを削減することが地球温暖化をおくらせることに極めて有効であること、そして作物や人間へのがいをもたらす大気汚染も減らすことができることを何人もの研究者とともに発表しました。すると2010年、ラマナサンさんの元に国連から、短寿命気候汚染物質の研究グループのリーダーになって欲しいというれんらくが入ります。彼は申し出を受けましたが、外部の別の科学者に報告書作成をとうかつするようらいし、自身は副議長を務めました。そして他の研究者と連名で国連の下で報告書を発表し、それに基づき2012年に短寿命気候汚染物質の削減を目的とした、「気候と大気じょうの国際パートナーシップ(CCAC)」を設立しました。

CCACは短寿命気候汚染物質の削減に特化した国連による初の取り組みです。当初6か国でスタートしたCCACは、現在では60か国以上が参加し、世界のすべての地域をカバーしています。そこでは、短寿命気候汚染物質の削減に関わる様々な活動のえんをおこなっています。そして2021年11月、ラマナサンさんがうったえ続けて来た短寿命気候汚染物質の削減は、イギリスで開かれた国際会議、COP26で各国の合意に至りました。

4. 前に進むために

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ヴィーラバドラン・ラマナサン教授

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