3. 私たち人間も自然の一部

いっしょにやらなければ自然は守れない

セレンゲティには、昔から動物達とともに人間も住んでいました。この一帯に「セレンゲティ」の名前を付けたマサイ族などの人たちです。

ボルナー教授は最初、地元の人たちのことまでは考えていませんでした。しかし活動を続けるなかで、一人ではなにもできない、周りの人の理解を得て、いっしょにやっていくことが大切なのだと、気づき始めました。

そこでボルナー教授は、地元の人たちに、野生動物を守る活動に関わってもらうようにしました。

マサイ族の人たちと(1994頃)

マサイ族の人たちと(1994頃)

伝統的なアフリカのしんこうは自然にとても近く、現代の自然保護の考え方と通じるところがあります。とはいえ、ただ「野生動物は大事だから」というだけではだめで、野生動物を守ることで地元の人たちの生活にどんないいことがあるのか、きちんと示さなくては協力してもらえません。
そこで、例えば、国立公園近辺に生息する動物や土地について、地元の人たちに権利者になってもらうことにしたのです。それまでは、地元の人たちは動物達について何も権利がありませんでした。自分のものではないから、例えばみつりょう者が来ても、ほったらかしでした。でも、自分たちのものであれば、話は違います。「あのシマウマは観光用にいるんだ。」と言って密猟者を止めようとするようになります。

今、国立公園はタンザニアの人たちの誇りです。他の国にあってタンザニアにないものもあるけれど、みんな「私たちには国立公園がある」と胸をはるのだそうです。そして世界に誇れるこの大自然を自分たちの子供や孫の代まで伝えていくのが、タンザニアの人たちの願いです。

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セレンゲティの真ん中をつらぬく高速道路建設計画

2011年、セレンゲティ国立公園に最大の危機がおとずれました。セレンゲティの西にあるビクトリア湖から、タンザニア北東部をつなぐ高速道路の建設計画が持ち上がったのですが、問題は、それがセレンゲティ国立公園の真ん中を横断するルートだったことです。

セレンゲティ国立公園

もしここに高速道路ができれば、動物達と車がぶつかって事故がおきないよう、道路の両側にフェンスを建てなくてはなりません。ヌーやシマウマなどの動物達はかんに水場を求めて北と南を大移動しますが、フェンスにじゃされて、それができなくなってしまいます。
150万頭のヌーは移動しながら大量のふんを落とし、それがセレンゲティの土を豊かにします。大量の草を食べて自然火災を減らし、たおされた若木は新たな森林を作り、自らは肉食動物のえさになります。ヌーはセレンゲティ全体の生態系にとって極めて重要で、もしヌーが大移動できなくなってたくさん死んでしまったら、セレンゲティの自然自体がかいめつ的なげきを受けます。

当初、ボルナー教授達は、自然保護の立場から反対したのですが、うまく行きませんでした。タンザニア政府はもともと自然保護に熱心な政府です。しかし、政治家たちは先のことにはあまり耳を傾けてくれませんでした。ときに、経済成長と自然保護は相反します。人間の暮らしを便利にするために、道路は必要なのだと、ボルナー教授もよくわかっています。ただ、公園の真ん中を通すのが問題なのです。
そこで、ボルナー教授達は別のアプローチをとることにしました。まず、他国からも反対意見がタンザニア政府に届くよう、インターネットを使ってこのじょうきょうを世界中に伝えました。

もう一つは、セレンゲティの周辺地域を調べて、もっといいルートを考え出したのです。セレンゲティの真ん中を通る当初のルートの近くにはマサイ族が住んでいますが、主に遊牧をして暮らし、しゅりょうも農業もしないかれらには高速道路はあまり役に立ちません。それより、セレンゲティの南を回るルートにすれば、近くには農地がたくさんあるので、農作物を運ぶにも、子どもたちを学校に送るにも便利で、たくさんの人が喜ぶし、経済的にもずっとよいのだ、と政府に提案しました。

セレンゲティ国立公園

説得を続けた結果、ついにタンザニア政府はルートをへんこうすることを約束してくれました。

このように、これまでボルナー教授がやってきた仕事は、動物達だけを相手にするものではありません。むしろ、地元の人たちに協力をお願いしたり、政府の人たちを説得したり、あとはジャーナリスト、アーティスト、学者など、いろいろな人たちをセレンゲティの自宅に招いたり…こうした人間達とのコミュニケーションも、とても大切にしてきました。

「人間も生態系の一部です。自然かいの火種にもなれば、解決の糸口にもなるんです。」

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マルクス・ボルナー教授

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