2. 人類文明史の解明へのちょうせん

ニューギニア

ダイアモンドさんが初めてニューギニアに行ったのは1964年でした。それから50年以上たった今でも、ダイアモンドさんはニューギニアに通ってフィールドワークを続けています。ダイアモンドさんにとってニューギニアのりょくを一言で表すなら「ぼうけんと鳥」です。ひとたびニューギニアに来ると、世界の他の場所がとても退たいくつに思えてしまうほどだそうです。

ニューギニアにて

ニューギニアにて © K. David Bishop

ニューギニア島はグリーンランドに次いで世界で2番目に大きな島で、太平洋の南部にかんでいます。東半分がパプアニューギニア、西半分がインドネシアの領土です。島の中央には5,000m級の高山が連なり、それ以外は熱帯雨林が広がっているふくに富んだ地形で、美しいゴクラクチョウを始めとする多種多様な鳥がいます。そして、今でも石器を使い、伝統的な生活を営む人々が暮らしています。

ニューギニアにて

ニューギニアにて © K. David Bishop

ダイアモンドさんはすっかりニューギニアにりょうされ、子どものころから好きだった鳥の研究をニューギニアで本格的にやりたくなりました。

ニューギニアにて

ニューギニアにて

ニューギニアにて © K. David Bishop

1966年、ダイアモンドさんはカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の医科大学院に移りました。そこではたんのうの研究だけでなく鳥の研究をすることも認めてくれて、研究費まで出してくれました。それからダイアモンドさんは夢中でニューギニアに通いました。
ニューギニアでは国立公園の設計に参加するなど、生態系保全活動にも力を入れました。また鳥の研究では、ぜつめつしたと思われていたキエボシニワシドリという鳥を1981年に再発見するぎょうも成しげました。

研究生活を送ってきた中で、転機となったのは2つの出来事です。
1つ目は1985年、マッカーサーフェローシップという賞を受けたことです。業績が認められたしょうでしたが、ダイアモンドさんはここで迷ってしまいました。自分はそれに値するほど能力を発揮できているだろうか?

もう1つは1987年、おくさんのマリーさんとの間にふたの息子マックスとジョシュアが生まれたことです。それまで研究者として仕事にいそしんできたダイアモンドさんはふと思ったのです。子どもたちが今の自分と同じ50さいになる2037年、世界は一体どうなっているのだろう? よりよい世界を残すために、自分はもっとできることがあるのではないか?

奥さんと双子の息子さん

奥さんと双子の息子さん

ダイアモンドさんはいろいろ考えた末に、本を書き始めました。これまでも研究者のための本は書いたことがありましたが、ダイアモンドさんはもっとたくさんの人に読んでもらえる本を書くことで、よりよい世界にこうけんしたいと思ったのです。

人生を変えた質問

少し時をもどして、1972年のことです。ダイアモンドさんはニューギニアのはまを歩いていた時に、ヤリという名前のニューギニア人の男性と出会いました。ヤリはダイアモンドさんに、どこから来たのか、何をしているのか、なぜ鳥の研究をしているのか、などいろいろな質問をしました。そして、最後にこう質問しました。
「白人は、眼鏡、えんぴつ、カメラなどのものを持つようになり、ニューギニアに飛行機でやってきた。しかし、ニューギニア人は石器しか持たず、ヨーロッパには行かなかった。それはなぜなのでしょうか?」ダイアモンドさんはその時、ヤリの質問に答えることができませんでした。

それから、ダイアモンドさんは考え続けました。なぜ、世界のある場所ではテクノロジーや文明が早くから発達し、他の場所ではそうではなかったのでしょうか。
優れている人種とそうでない人種があるわけではありません。科学がそれを否定していますし、ダイアモンドさんはニューギニアの伝統的社会の人々とずっと交流していたので、かれらが文明社会の人々と同じように頭がいいことを知っていました。
ダイアモンドさんはそれから他の研究をしながらも、ずっと調査を続けていました。そしてヤリの質問から25年後の1997年、60さいの時に、ついに一冊の本でその答えを出したのです。

じゅうびょうげんきん・鉄』

その本のタイトルは『銃・病原菌・鉄』といいます。ダイアモンドさんはこの本で、ヨーロッパ人が銃、病原菌、鉄によって世界をせいふくしたことを書いています。
例えば、かつてえいほこった南アメリカのインカていこくは、なぜヨーロッパのスペイン人に滅ぼされてしまったのでしょうか。スペインの征服者ピサロがインカ帝国こうていアタワルパをらえた戦いでは、インカ帝国の7,000名もの兵士は、200名に満たないスペインの兵士にあっとうされてしまいました。青銅や石や木のこんぼうしか持たないインカ帝国の兵士は、銃と鉄製のけんを持ち馬に乗ったスペインの兵士にまったく敵わなかったのです。
また、インカ帝国の人々はスペイン人が持ちんだ病原菌によって大げきを受けました。おそろしいえきびょうであるてんねんとうです。インカ帝国の人々は天然痘へのめんえきを持っておらず、国民の半数以上ともいわれる多くの人々が命を落としてしまったのです。

なぜスペイン人は銃、病原菌、鉄を持っていて、インカ帝国の人々は持っていなかったのでしょうか。
ダイアモンドさんは、ヨーロッパのあるユーラシア大陸とインカ帝国のある南北アメリカ大陸のちがいに目を向けました。
ユーラシア大陸にはもともと麦などのさいばいしやすい植物が自生していたため、大昔から農耕が始まりました。農耕によって多くの人たちを養うことができたので、早くから社会が発展し、銃や鉄を作り出すことができたのです。
また、牛や馬などの動物をちくにすることができたので、ぼくちくも人々の生活を豊かにしました。これらの家畜は病原菌を持っていたので、ヨーロッパの人々は家畜を通して病原菌に感染しましたが、長い時間をかけて免疫をかくとくし、病気に強くなっていったのです。

ユーラシア大陸は横に長い大陸です。が同じくらいで気候も似通っているため、どこでも同じような作物や家畜を育てられます。そのため農耕技術や文化が伝わりやすく、文明同士の交流が盛んになった結果、文明はさらに発展していきました。
南アメリカはユーラシア大陸と比べてさいばいしやすい植物が限られていたため、農耕の開始がおくれました。また、家畜にできる動物もユーラシア大陸よりはるかに少なく、ヨーロッパのように牛や馬はいなかったので、ヨーロッパ人が日常的にそれらの動物からうつされていた病原菌にれることはありませんでした。そして、南北アメリカ大陸は縦に長く、地域によって緯度が違い、気候も異なるため、農作物や技術や文化が伝わりにくく、文明同士の交流も限られていたのです。

こうしてダイアモンドさんは「なぜ、世界のある場所ではテクノロジーや文明が早くから発達し、他の場所ではそうではなかったのか」の答えが地理的な条件の違いにあるのだと結論づけました。地理的な条件の違いが農耕の始まりなど文明の起源や発達に大きくえいきょうし、その土地の歴史を変えていくことになったのです。
まったく新しい視点から人類文明史のなぞいどんだこの本は、翌年、ピューリッツァー賞を受賞し、世界的なベストセラーとなりました。ダイアモンドさんの名前もこの本でいちやく有名になったのです。

3. 人類文明史と持続可能な社会

menu

ジャレド・ダイアモンド教授

English