マリン・ファルケンマーク教授:1. 偶然がつないだ「水」との出会い - 公益財団法人 旭硝子財団

1. ぐうぜんがつないだ「水」との出会い

数学の才能が開花

ファルケンマーク教授は1925年にほくおうスウェーデンの首都、ストックホルムで生まれ、5人兄弟の長女として育ちました。お父さんとお母さんは教授を厳しく育てましたが、それは教授の将来に期待していたからでした。教授はとても頭のいい女の子だったのです。

少女時代(右端が教授)

少女時代(みぎはしが教授)

特に教授は語学が得意だったので、お父さんとお母さんは教授が将来、ほんやく家になると思っていました。ところが高校生のとき、教授がギリシャ語を勉強しようとしたところ希望する生徒が十分に集まらなかったので、数学のクラスに入ることになったのですが、勉強してみると語学よりも数学のほうが得意だとわかったのです。数学の先生が解けない問題すら、教授は解いてしまうほどでした。
これをきっかけとして、教授は語学ではなく、数学の才能を生かす道に進むことになりました。

数学の問題にぼっとうした大学時代

ファルケンマーク教授の数学の才能を知ったお父さんは、むすめが大学で数学を学べるよう、協力してくれました。お父さんは大学教授をしていたので、どうりょうの数学教授をしょうかいしてくれたのです。
ファルケンマーク教授はその数学教授と相談して、スウェーデンのウプサラ大学に進学し、数学のほか、力学、物理、化学をせんこうしました。当時、このような理系科目を女性が専攻するのはめずらしいことでした。

大学時代の教授は数学にぼっとうしました。「数学の問題のことが頭からばなれず、いつもその解き方を考えていました。」と教授は語っています。

大学生時代(左端が教授)

大学生時代(ひだりはしが教授)

夏休みは家族とべっそうですごし、ヨットでセーリングをしたり、モーターボートでフィンランドまで行ったりしていました。そんなふうに自然と水に親しんでいましたが、このころはまだ、後に水の研究をすることになるとは夢にも思っていませんでした。

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水との出会い

「私の人生は予期しないことの連続です。ぐうぜんが私の人生を動かしていると思います。」ファルケンマーク教授が水を研究するようになったのはまったくの偶然だったそうです。
1951年に大学院を卒業したあと、教授はスウェーデン王立工科大学(KTH)で会計アシスタントとして働いていたのですが、やがてその仕事にすっかり退たいくつしてしまいました。それを大学時代の友達に話したところ、新聞の求人広告を見るようにすすめられたのです。さっそくその日の新聞を見てみると、たまたまスウェーデン気象・水文研究所(SMHI)の求人広告がっていたので、おうしてみたらしゅよく採用されました。
こうして教授は28さいのときに研究所に入所し、水の世界への第一歩をみ出したわけですが、もし研究所がその日の新聞に求人広告を出していなかったら、今日の水文学の発展はなかったかもしれません。

ファルケンマーク教授が最初に関わったのは氷に関する仕事です。
当時、スウェーデンでは、かんきょうに優しいエネルギーを使おうという方針から、北部地域の川の水流などを利用した水力発電が盛んになっていましたが、ある水力発電所で問題が起きていました。その発電所からは年中、暖かいはいすいが近くの湖に流れ、さらにそこから川に流れみ、それが冬期に川に張る氷をかしていました。もともと、その地域では冬には川が完全にこおっていたので、地元の人たちが凍った川の上をソリなどで行き来して荷物を運ぶための道路代わりに使っていましたが、それができなくなってしまったのです。そのため、困ってしまった地元の人たちと発電所の間に対立が生まれ、裁判所が調停にあたっていました。
教授の仕事は、氷の専門家としてその水力発電所がきんりんの川の氷にあたえるえいきょう(発電所から流れてくる暖かい排水は川の氷をどれくらいかすのか、それは地元の人たちにどれくらいの損失をもたらすのか、など)を調査し、報告書を裁判所に提出することでした。専門家といっても最初は何もわかりません。開発による「環境影響」という言葉さえいっぱんてきではない時代でした。そんな中、教授は、自分の頭で考え、ひたすら前進し続けることで、研究所での初めての仕事をやりとげました。

1940年〜50年代に大学院を卒業したファルケンマーク教授の世代は、女性が職場に進出した最初の世代でした。スウェーデン気象・水文研究所では、今でこそ女性職員が半数をめていますが、当時、教授は研究所の氷の部署に配属になった初めての女性でした。

スウェーデン気象・水文研究所時代

スウェーデン気象・水文研究所時代

それをこころよく思わない男性もいました。氷をあつかう研究は重労働で、男性がするべき仕事だと思われていたのです。教授には研究に使う器具が重すぎたので、女性の力でも扱いやすい特別製のものを使うしかありませんでした。しかし後になると男性もこの特別製の器具を使うようになっていたそうです。使いやすかったのですね。

2. 世界の水へ広がる視点

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