3. 貧困との戦い

貧困のわな

1995年から、サックス教授はアフリカで仕事を始めました。サハラばくより南のアフリカは、世界で最も貧困に苦しんでいる地域です。サックス教授はここで、生きるために最低限必要なものすら足りない人々の「極度の貧困」の解決に、本格的に取り組みはじめることになります。

ここで、少し考えてみましょう。なぜこの世界には、貧しい国と豊かな国があるのでしょう?なぜこのような差が生まれたのでしょうか?サックス教授はこんなふうに考えています。

今から200年くらい前までは、世界にここまでの貧富の差はなかったのです。というより、どこでも、だいたいの人が同じように貧しかったのです。それが「近代経済成長」の時代になり、その波にのった国は、どんどん豊かになっていきました。一方で、その波にのれなかった国は貧しいまま取り残されてしまいました。

どうして、波にのれた国とのれなかった国があるのでしょうか。ひとつの理由としては、波にのれた国は、たまたま「よい条件」にめぐまれていたのです。たとえば、広大な大地があって資源が豊富だったり、海に囲まれていて遠くの国と貿易がしやすく、一方でせめこまれにくかったり…といった条件です。
では、貧しい国は、もともとの条件のせいで、いつまでも豊かになることはできないのでしょうか?

そんなことはありません。科学技術が発達している現代では、不利な条件も十分に乗りこえられるはずなのです。サックス教授は経済成長にいたる道を「開発のハシゴ」という言葉で表していますが、「開発のハシゴ」の最初の段に足をかけることさえできれば、その国は自分たちの力で発展していけるようになるはずです。ただ、貧しい国は、その貧しさがじゃまをして「開発のハシゴ」の最初の段に足をかけることがなかなかできないのです。これを「貧困のわな」とよびます。

サックス教授は、貧しい国が「貧困のわな」からだっしゅつするため、まず豊かな国が適切なえんをする責任があると言っています。

そして、世界が協力してこの問題に取り組むなら、貧困は私たちの世代で必ずなくすことができると強く信じています。

アフリカと病気

アフリカにやってきたサックス教授の話にもどりましょう。

それまでにかなり経験を積んでいたサックス教授は、さっそくアフリカのしんだんを始め、アフリカを「貧困のわな」からのがれられないようにしている原因が何か、探しはじめました。例えば、アフリカのゆうだいなサバンナはりょくてきですが、そこに点在する農村は、満足な道もないためりつし、それが経済の発展をはばんでいました。
もう少し調べると、それまでとはまたちがう問題が見えてきました。

当時、アフリカではエイズ・っかく・マラリアといったかんせんしょうの病気が大流行していました。りょう方法はすでにみつかっているのに、多くの人がその治療を受けることもできずに亡くなっていたのです。
サックス教授はまず、この感染症を何とかしなければアフリカの経済発展は難しいと考えました。

そんなころ、サックス教授に、世界保健機構(WHO)の事務局長、元ノルウェー首相で2004年ブループラネット賞受賞者のブルントラント博士から電話がかかってきました。

1987年にかのじょしゅさいした「かんきょうと開発に関する世界委員会(ブルントラント委員会)」は、持続可能な発展という考え方を世界に広めたことで有名です。

ブルントラント事務局長は、このかんせんしょうがあることで経済にどんな損失をあたえているか、逆にかんせんしょうがなくなれば経済にどんないいことがあるか、人々にわかりやすく説明したうえで解決策を提案すれば、きっとうまくいくというのです。

サックス教授はブルントラント事務局長のすすめで、WHOに「マクロ経済と健康に関する委員会」を作り、委員長として、アフリカの感染症対策について専門家たちと検討を重ね、何をするべきか、ブルントラント事務局長やアナン国連事務総長に伝えました。それは受け入れられ、「世界エイズ・っかく・マラリア基金」の設置につながり、エイズにかかった人へのりょう薬の提供など、たくさんのことが実現しました。

4. 地球を救おう

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ジェフリー・D・サックス教授

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