2. 地球の限界をえないために

人口増加と貧困の関係への気づき

デイリーさんは、1967年に経済学で博士号を取得した後、助教授としてルイジアナ州立大学で働くことになりました。人に教える仕事を選んだのは、これまで出会ってきたたくさんの先生たちに尊敬と感謝の思いがあったからです。

大学にて(1969年)

大学にて(1969年)

また、助教授としての仕事をしながら、経済学にかんきょう、地域社会、生活の質、りんせいといったものをんだ環境経済学という新しい分野のかいたくに努めました。このころの経済学は環境のことを重視していなかったので、この研究は非常に目新しいものでした。

その後はブラジルを活動のきょてんとし、現地の貧困問題を解決するために人材を育成する仕事や人口増加と経済成長を研究する仕事をしました。

ブラジルでの活動の背景には、ブラジル出身の妻マルシアさんの存在がありました。二人は、マルシアさんが留学生としてアメリカに来ていたころに出会い、デイリーさんが25さいの時にけっこんしました。以来50年以上連れい、ブラジルはデイリーさんにとって第二の故郷となりました。

25歳の時に<ruby>結<rt>けっ</rt>婚<rt>こん</rt></ruby>

デイリーさんは、ブラジルでの活動を通して、人口の増加がいかに貧困の増大や所得格差につながるかを理解し始めていました。そしてこの時に研究した、ジョン・スチュアート・ミルによる「定常状態の経済(定常経済)」という考え方がデイリーさんに大きなえいきょうあたえることになったのです。

「定常状態の経済」の再発見

ミルの言う定常状態とは、資本(ここでは社会に存在する人工物のこと)や人口が増加せず一定のまま推移する社会状態のことです。ミルはこのような定常状態にある社会を、生活の質にもはいりょした安定した社会として評価しました。とにかく増えることをよしとする経済成長重視の考え方とはまるで異なる考え方です。しかしデイリーさんは、ブラジルでの経験から経済成長によって失われるものは人々の想像以上に大きいということを知っていたので、この考え方の重要性に気づいたのです。

いっぱん的には経済が成長すれば、人々はより豊かな暮らしができ、幸せになると思われていますが、実はそれによって失われるものもあるのです。例えば、デイリーさんはブラジルで、エネルギー産業が深刻なかんきょう問題を引き起こしたり、森林がばっさいされたり、農業でも問題が生じていることを見てきました。電気などのエネルギーも、木材も、農業で生み出される食料も、すべて人間が必要とするものです。だから人々は必要なものをもっと手に入れたいと思い、どんどん経済を拡大し、環境への負荷を大きくしていきました。このように経済成長は他のものをせいにする場合があるのです。

長年、経済と環境の関係を研究してきたデイリーさんは、経済が拡大し続けると、環境への負荷は地球の限界をえてしまうと考えたのです。そして、経済成長ありきの考え方にけいしょうを鳴らすべく、人口や人工の資本が一定の経済である定常経済に関する先人の優れた考えを収集して論文集を出版したり、経済学者と環境専門家のそう理解を深める目的で、国際エコロジー経済学会を創設したりするなど、様々な活動を行うようになりました。

世界銀行での活動

ルイジアナ州立大学での仕事を終えた後、デイリーさんは世界銀行で仕事をすることになりました。かんきょう部門の上級エコノミストという役職でしたが、世界銀行での職に就くことには周囲のみならず、デイリーさん自身もおどろきました。なぜなら、世界銀行は経済成長を推し進める機関で、デイリーさんの考えとは相反する理念を持っているように思われたからです。
実は、当時の世界銀行中米環境部門のトップだった、ロバート・グッドランド博士がデイリーさんを起用するように働きかけてくれていたのです。とはいえ、世界銀行の内部には、世界銀行が最も注力する経済成長をよしとしないデイリーさんを良く思わない人もいました。しかしグッドランド博士はデイリーさんが長く職場にとどまれるよう協力してくれましたし、どうりょうの経済学者の中にはデイリーさんの考えに共感してくれる人たちもいました。

世界銀行では、グッドランド博士のもとで、貸付プロジェクトの精査にたずさわりました。ダムや道路、学校、農園、発電所などを作る資金を世界銀行が貸し付ける際に、それらのプロジェクトが環境に対してどれほどのえいきょうあたえるのかを評価する仕事です。
世界銀行で働くようになって6年たったころ、今度はメリーランド大学から声がかかり、そこでまたきょうべんをとることになりましたが、所属は経済学部ではなく公共政策学部でした。ここでは世界銀行での開発政策に関する経験が非常に役に立ち、多くの教え子を世界銀行に送り出しました。

こうした活動をしながら、デイリーさんはこれまでに環境と経済に関するいくつもの重要な考え方を生み出し、社会に大きな影響を与えてきました。次の章ではそれらについて見ていきましょう。

2002年イタリア

3. 社会がいつまでも続くために必要なこと

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ハーマン・デイリー教授

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