1. 科学と人間性の探求

子ども時代に学んだこと

ハーマン・デイリーさんは1938年アメリカのテキサス州ヒューストンで生まれ、愛情深くけんめいな両親のもとで育ちました。お父さんは大工道具をあつかうお店を営んでいて、ハーマン少年に独立心を教えてくれました。また、お母さんからは誠実さとりんかんを学びました。

子供のころのデイリーさんは少し内気な少年でしたが、水泳やテニスを楽しみ、読書にも熱中していました。医者や牧師、科学者や作家など、いろいろな将来への夢も持っていました。
ところが、7さいの時、とつぜん、ポリオ(せきずいせいしょう)という病気にかかり、2か月もの間入院しなければならなくなってしまいました。退院した後もひだりうでが残り、ほとんどのスポーツはできなくなったものの、その分、読書への関心が強まっていきました。

子ども時代

子ども時代

その後もりょうを続けていましたが、様々な障害が出てきたことから14さいごろには左腕を切除するというつらい決断をしました。切除が絶対に必要だったわけではありません。ですが、デイリーさんは見みのない治療にこれ以上多大なエネルギーを費やすよりも、できることにエネルギーを差し向けようと決めたのです。この体験からデイリーさんは大事なことを学びました。それは、「この世には不可能なことがあるという事実を認め、可能性のあることにエネルギーを注ぐべきだ」ということです。自分ができることに精いっぱい取り組むことを学んだからこそ、その後の成功があるのかもしれません。

経済学への失望と奮起

さて、大学生になるころのデイリーさんは、科学、そして人間性の探求に興味を持つようになっていました。自然を研究対象とする自然科学と人間文化を研究対象とする人文科学のどちらもあきらめたくなかったことから、両方に関わる学問として経済学を学ぶことにしたのです。

高校卒業(1956年)

高校卒業(1956年)

志をいだいてライス大学に入り、経済学を学び始めたデイリーさんでしたが、一つがっかりしたことがありました。大学で学ぶ「新古典派経済学」が、はじめに思いえがいたようなものではなかったのです。古典派と呼ばれる初期の経済学は、思っていたとおり科学とりんてきな面、両方に関わる学問だったのですが、その後、主流となった新古典派と呼ばれる経済学はそうではなくなっていました。しかし、この失望は新たなやる気をもたらしました。デイリーさんは経済学の分野に生物物理学りんがくを復活させるという目標を見つけたのです。

ライス大学を卒業したデイリーさんは、経済、特に中米の経済を勉強するためにテネシー州ナッシュビルにあるヴァンダービルト大学大学院に進学しました。中米について研究することにしたのは、生まれ育ったテキサス州に近い中米やメキシコにかれており、そこで使われるスペイン語も学んでいたからです。
勉強以外にもテニスやてつがく、神学、科学に関する読書、交友を楽しんだりしながら学生時代を過ごしました。

2. 地球の限界をえないために

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ハーマン・デイリー教授

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