学習の手引き

ダスグプタ教授のものがたりはいかがでしたか?
ここは、みなさんがものがたりについて復習したり、理解を深めたりするためのページです。ここだけに書いてあることもありますよ!

<対象:小学校高学年以上>


こたえ

問1:ダスグプタ教授の研究から、自然かんきょうと貧困にはどんな関係があるとわかってきたでしょう。

こたえ:1.貧しい国では、自然環境も悪化することがある。

環境と貧困には密接な関係があることを、ダスグプタ教授はてきしています。貧しい国は、経済的に豊かになろうとして、開発によって自分の国の自然をかいしてしまうことがあります。その結果、より貧しくなってしまうというあくじゅんかんにおちいることもあるのです。

問2:国の豊かさをはかるための、ダスグプタ教授による新しい考え方(指標)は、何を「はかる」ものでしょう。

こたえ:3.人間のつくりだしたものや人間の技能、自然資源など、その国がどれだけの「富」を持っているか

1.は、モノの製造やサービスの提供など「人間がつくりだしたもの」により、どれだけの「もうけ」があったかをはかるもので、これを「国内総生産(GDP)」といいます。
2.は、「健康で長生きできるか(平均余命で判断)」「知識を得られるか(識字率・就学率で判断)」「人間らしく生活できるか(GDPで判断)」をはかるもので、GDPだけでははかれない点も加えられています。これを「人間開発指数(HDI)」といいます。HDIは、「人間の可能性、せんざい能力」をはかるものとして、1990年にインド人経済学者のアマルティア・センとパキスタン人経済学者のマブーブル・ハックにより開発され、国連開発計画(UNDP)の「人間開発報告書」で発表されています。

GDPもHDIも国の豊かさをはかる基準ですが、ダスグプタ教授は「持続可能性」に注目するなら、GDPやHDIとはちがう視点が必要だと考えました。それが「ほうかつてきな富の指標(IWI)」の誕生につながっていったのです。
まず、「包括的な富」にはさまざまなものがふくまれますが、特に自然資源が入っていることは、GDPやHDIにはない特徴です。
また、GDPと包括的な富の指標では、「なにをどうはかるか」の考え方にちがいがあります。ものがたりでは、森の木の例をしょうかいしましたが、ここではポップアップ解説で少しふれた、タンクと水の例を紹介します。
水の入ったタンクを想像してください。タンクに水が流れこめばタンクの水が増えます。反対に、タンクから水が流れ出ていけばタンクの水は減ります。
このたとえでいうと、GDPではかる「もうけ」は、一定の時間内(たとえば10分間など)で流れこんだ水や、流れ出た水にあたります(「フロー」といいます)。それに対して、「包括的な富の指標」がはかる「富」というのは、ある時点で(例えば、タンクの中を確かめたときなど)どれだけの水がそのタンクにたまっているか、にあたります(「ストック」といいます)。
たくさんの水が流れこんでも、もっとたくさんの水が流れ出ていたら、タンクの水はだんだんなくなっていきます。また、タンクにたくさんの水がたまっていれば、少しくらい流れ出る量が多くても、すぐに水はなくなりませんが、流れ続けると、いずれ水はなくなります。もともと水が少ないと、流れ出る量が少しでも、すぐに水はなくなってしまいます。流れる水の量だけしかみていないと、タンクにどれだけ水があるのかわからないので、ある時気がつくと、水がなくなっていたということがおきてしまいます。

ダスグプタ教授は、ある経済が持続的に発展しているかどうかは、流れた水だけではなく、タンクに入っている水で判断する(たとえば1時間前にタンクにたまっていた水の量と、今、タンクにたまっている水の量を比べて、増えているか減っているかをみる)のがよいと考えたのです。


ここはおさえておこう

ダスグプタ教授は、将来世代まで豊かでいるためにどうすればいいかを考え、経済学の研究において、人の豊かさと自然資源の関係性を重要なテーマとして取り組み続けてきました。ダスグプタ教授の研究は、こんなことを私たちに教えてくれます。

人間が生きていくためにかけがえのない自然を守るためには、人間の行動が重要である。そのために、自然のしくみや、人間と自然がどのように関わっているかを正しく理解しなければならない。

自分たちが豊かで快適な生活を送れればそれでよいのではなく、自分の子どもや孫、またそのずっと先の子孫が困ることがないように、今の私たちの生活がどうあるべきかを考えなければならない。


もっとくわしく

環境と貧困について

ダスグプタ教授は、その研究の中で、自然かんきょうと貧困には密接な関係があることを見つけました。どういうことなのか、もう少しくわしく説明します。

たとえば、経済的には貧しくても豊かな森林のある国があったとしましょう。その国のある村では、人々が近くの森林を、たきぎをとるために使う「共有地(村の人たちがだれでも利用できる場所のことをいいます。)」にしています。あまりたくさんとりすぎると大変なことになると、村の人たちは古くから知っているので、みんなでとりすぎないためのルールを設けて、大切に使ってきました。
しかし、そのルールがこわれてしまったらどうなるでしょうか。貧しさで追いつめられて、とらなければ生活できないとなったら、とりすぎてしまうかもしれません。
あるいは、ある日、いきなりその国のえらい人がやってきて「開発のために木材を切り出すので、今日からこの森は国が管理することにします。」と言ったとします。この場合、村の人たちは、もう森を守れません。そして国のえらい人が、もし森のことをろくに知らなかったら、開発のために手当たり次第に木を切りたおしてしまうかもしれません。
どちらの場合も、森林からは木がなくなってしまいます。すると、いろいろな問題がおきます。もちろん、村の人たちはもうたきぎをとることができず、生活できなくなってしまいます。また、その森の近くに川が流れていたとすると、ある日、その川の下流ではんらんが起き、その近くの別の村の人たちがこうずいがいにあうこともあります。下流の村の人たちには想像もつかないことですが、それも上流で水をためてくれていた森林がなくなってしまったことが原因なのです。

制度について

ダスグプタ教授は、よい「制度」が整っていないことがこういった問題の大きな原因だと考えています。
制度というのは人と人との取り決めです。さきほどでてきた、村の人たちが共有地を使うためのルール、あれも制度です。この制度は、木をとりすぎないという約束をおたがいが守るという、村の人同士のしんらいによって成り立っています。
村だけではなくて、もっと小さなあなたの家にも、家族の約束ごとがあると思います。ずっと大きな国にも、法という制度があります。どんな制度も、お互いがそれを守るという信頼で成りたっています。
村の制度も、国の制度も、うまくはたらいていれば、役に立つのです。しかし、先ほど例にあげたように、こわれてしまうことがあります。そうすると、いろいろな問題がおきてくるのです。
ダスグプタ教授は、あらゆる制度にえいきょうをおよぼす「国」の責任は特に大きいと考えており、自然資源を守るためにも、そして貧しい国が豊かになるためにも、国の制度をととのえることが重要だと考えています。

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パーサ・ダスグプタ教授

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