1. しょうがいの仕事との出会い

ダニエル・スパーリングさんは1951年にアメリカ、ニューヨーク州北部で生まれ、4人兄弟の長男として育ちました。スパーリングさんのお父さんは農園を経営する大変な働き者で、毎日14~15時間、一年中休みなく働きました。また、お母さんも農園の発展を助けました。二人の努力が実り、最初は小さかった農園がニワトリ4万羽を飼うほどに大きくなったそうです。

4人兄弟の長男として育ったダニエル・スパーリングさん

そんな両親が子育てで重視したのは教育でした。決して豊かな家庭ではありませんでしたが、子どもたちに高等教育を受けさせたのです。その結果、スパーリングさんは大学の教授になり、弟や妹も政府や大学で働いたり、弁護士になったりみながそれぞれの道で活躍しています。スパーリングさんは両親から勉強にはげむことと責任感を持つことの大切さを教わったそうです。

スパーリングさんは1969年にコーネル大学に入学し、都市計画とシステムぶんせきを学びました。都市計画とは、街をどのようにつくるべきかを考える学問です。システム分析は、世の中の複雑なしくみがどのように成り立っているのかを調べる学問です。スパーリングさんはいつも世界の成り立ちを理解したいと思っていたので、これらの学問に興味を持ちました。

“世界の成り立ち”という言葉は少し難しいかもしれません。考えてみても何のことかわからないかもしれません。でももう少し身近な視点で、都市の成り立ちから考えてみましょう。

都市は人が住み始めることから始まります。次に、人々が集まって生活することで社会が形成され、協力関係や経済(お金のやりとり)が生まれます。さらに、人々の持つアイデアや創意工夫によって、都市をより便利に使うための技術やしくみが生まれ、それが都市にまれます。例えば、車や道路は技術であり、それらを使うための交通ルールはしくみの一種です。つまり、都市とは「人間」、「社会」、「技術」、「しくみ」が折り重なり合い、それぞれがそうに関係し合って成り立っている一つのシステムだと言えます。

スパーリングさんはこの都市というシステムを設計するための学問を学ぶことにしたのです。

大学では、異なる民族や政治、かんきょうなど、それまで知らなかった広い世界にれることで、スパーリングさんの知的こうしんや経験は大きくふくらみました。しかし、まだ自分の経験がごく限られたものであると感じ、もっと広く世界を見たいと思いました。

その希望をかなえるため、スパーリングさんは、中米のホンジュラスという当時極めて貧しく深刻な問題をかかえていた国で働くことにしました。そこで、都市計画に関する仕事をしましたが、当時は、限られた予算の中で市民の希望にいながら、環境にやさしい都市輸送をどう設計すべきかなやんでいました。都市輸送とは、都市の中で人や物が車や電車など様々な手段で移動するしくみのことです。

2年後にアメリカにもどったスパーリングさんは政府の環境保護庁で、環境や都市輸送に関する仕事に従事することにしました。車のはいガスが大気をせんする原因になるなど、都市輸送は環境とははなせない課題です。環境保護庁では、主に水質汚染への対応にたずさわりましたが、当時は汚染に関する高度の知識を持つ人はほとんどおらず、スパーリングさんはこの仕事を通してさらに自分の知識不足を痛感し、大学院で勉強しようと決心しました。

大学院はカリフォルニア大学バークレー校を選びました。ここでは、都市輸送のことに加えて経済やエネルギー、環境についても学びました。その後、専門性を生かして社会にこうけんしたいと考えていたスパーリングさんは、カリフォルニア大学デービス校が輸送エネルギーと環境についての教師をしゅうしていることを知りました。「これは、まさに自分のための仕事だ!」と感じてすぐにおうし、無事採用が決まりました。石油の代わりになる燃料を研究していたスパーリングさんにはこの仕事がぴったりだったのです。それまでは教育者になることは全く考えていなかったのですが、やってみると教えることや研究が大好きなことに気づき、40年以上にわたってこの仕事を続けています。

ここから先は、スパーリングさんが実際に学び、じっせんしてきたことについて具体的に見ていきましょう。

2. 研究と実践

menu

ダニエル・スパーリング教授

English