日本の研究を支える
コンピュータが登場して少し後、人類は人工衛星を打ち上げ宇宙から気象を観測することも可能になりました。全世界での様々な気象観測データを即時交換するシステムも始まり、常に気象衛星で全世界の気象を監視しながら、コンピュータの中で大気の状態を再現し、将来を予測する気象予報システムができました。アメリカやヨーロッパでは、それを支える体制が早くから整備され、コンピュータなどの設備的な面でも充実した環境が整いつつありました。
一方で日本では、1960年代のアメリカの動きに刺激され新たな研究の場を作ろうという運動が起こったものの、政府の財政状況などから実現することはできませんでした。そんな状況で第一回ブループラネット賞受賞者の真鍋淑郎博士など日本の優秀な研究者たちの多くがアメリカに渡り、現地で世界をリードする研究を行っていました。