1. 世界は面白いことでいっぱい

知りたい、やってみたい、話したい

ダイアモンドさんは1937年、アメリカのボストンで生まれ、そこで育ちました。
世界に興味をもった最初の思い出は、お父さんの部屋にられた第二次世界大戦のせんきょうを示す2枚の地図でした。1枚はヨーロッパ、もう1枚はアジアの地図で、幼いダイアモンドさんはその地図を通して世界は広いと知ったのでした。

幼いダイアモンドさん

お父さんは小児科のお医者さんで、ダイアモンドさんは自分も将来はお父さんと同じようにお医者さんになろうと思っていました。お母さんはピアニストで言語学者、そして教師でもある多才な人で、ダイアモンドさんも3さいから読み書きを教わり、6歳でピアノを始めました。

お父さんとお母さん

お父さんとお母さん

そして7歳で興味を持ったのが鳥です。夏になるとダイアモンドさんの一家はニューイングランドやニューハンプシャーなど森の多い地方で過ごしたので、そうした森で熱心にバードウォッチングをするようになりました。後にダイアモンドさんは鳥を研究するようになり、今もバードウォッチングを続けています。
他にも本を読むことや切手集めが好きでしたし、もう少し大きくなってからはお母さんのえいきょうもあって語学好きになり、中学〜高校ではラテン語、ギリシャ語、フランス語などいくつもの言語を学びました。また、科学や歴史も好きでした。

青年期

このようにダイアモンドさんはあらゆることに興味を持つ子どもで、それを周りの大人たちもすすめてくれたので、そのままあらゆることに興味を持つ大人になりました。
興味を持つだけでなく、ダイアモンドさんは自分が得た知識や体験をわかりやすく話すことが大好きで、いつも妹を相手になんでも説明していました。この説明好きの性格が、やがて本を書くことにつながったと言います。

科学の道へ

1958年、ダイアモンドさんはハーバード大学で生物学部を卒業し、翌年にはイギリスにわたってケンブリッジ大学の大学院に入学しました。その後はハーバード大学にもどって医学大学院の研究所に進みました。
やっていたのは人間のたんのうの研究でした。お医者さんではなく、研究者の道を選んだのです。研究では失敗ばかりでせつ感を味わったこともありましたが、お父さんの助言や周りの協力のおかげでこくふくし、次第に研究成果をあげられるようになりました。

大学と大学院には合わせて11年間いましたが、そのうち20代前半の4年半ほどを過ごしたケンブリッジ大学時代には、初めてヨーロッパで生活しました。せっかくヨーロッパに来たのだからということで、イギリスだけでなくドイツでも暮らしたこともあります。
イギリスやドイツで暮らし、ヨーロッパでできた友達と語り合う中で、ダイアモンドさんは、自分とはまったくちがった人生を送ってきている人たちがいると知りました。ダイアモンドさんが子どものころは第二次世界大戦の最中でしたが、ダイアモンドさんの住んでいたアメリカはばくげきされることはありませんでした。しかしヨーロッパの友達の中には、爆撃されたり、になったり、お父さんが収容所に入れられたりした人がいました。ダイアモンドさんは、ヨーロッパに住んだことで、歴史上の出来事が、その人の人生に大きな影響をあたえることに気づき、改めて歴史や地理に強い興味をいだくようになりました。

また、ダイアモンドさんは大学時代から野外キャンプを始め、かんきょうにも強い興味を持つようになりました。25歳のときには友達とペルーへ山登りに行き、アマゾン川流域に下って熱帯雨林のジャングルを探検しました。
そして翌年、ダイアモンドさんは26歳で初めてニューギニアに行きました。このニューギニアとの出会いが、ダイアモンドさんの人生を大きく変えることになったのです。

2. 人類文明史の解明への挑戦

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ジャレド・ダイアモンド教授

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