1. 科学で社会を変えたい

空から酸が降ってくる!?

デイリー教授は、1964年にアメリカのワシントン・DCで生まれました。生まれてすぐに当時の西ドイツにひっこしし、その後またアメリカにもどって幼少期をカリフォルニアのサンフランシスコわんがん地域で過ごしました。

カリフォルニアはいくつもの大きな国立公園がある、手つかずの大自然にめぐまれたところです。サンフランシスコは大きな街ですが、たくさんのおかがあって、幼いころはペットの犬とともに、海沿いの丘を走り回って自然に親しみながら育ちました。

西ドイツにて 1歳

西ドイツにて 1さい

12さいになると再び当時の西ドイツのフランクフルトに移り、ティーンエイジャー時代を西ドイツで過ごしました。眼科医をしていた教授のお父さんは、家族にアメリカだけでなく、より広い世界を知ってほしいと思っていたのです。
ドイツの自然は、カリフォルニアとはかなり様子がちがいました。そのほとんどが人間に管理されてきた自然だったからです。教授はカリフォルニアの大自然がこいしくなることもありましたが、一方で、何千年も前から人間とともにあったドイツの自然にもかれました。
ドイツは特に森が有名です。森はドイツの文化そのものを育んできたといえるでしょう。人々はみんな森を大切にしていて、週末ともなるとみんな森にハイキングに出かけるのです。教授もまた、近くの森にサイクリングに行くのが大好きでした。

そんなドイツでしたが、当時、1970年代から1980年代にかけて、酸性雨による森林のすい退たいが大きな問題になっていました。人間の産業活動による大気せんがその原因でした。

酸性雨で立ち枯れた森

酸性雨で立ち枯れた森

ドイツの人たちはこれを「森林の死」と呼びました。自分たちの森がれていくというのに、なぜ、だれも何もしようとしないのか。なぜ、人間は自然をかえりみず無ちつじょな開発に明け暮れているのか。何百、何千、時には何万という人々が、連日のように街に出てはデモをり広げました。それは多感なティーンエイジャーだったデイリー教授にとってあまりにしょうげき的な光景でした。
「空から酸がふってくる、ですって!?」そんなことは一度も聞いたことがありません。なのに、その酸が目の前の美しい森を死に追いやり、ほくおうの湖の魚たちが死んでいくというのです。酸が降ってきた原因は人間にあり、しかし目の前の人々は何とかそんな社会を変えようと必死になっている。「私も何かしたい。」教授は強く思いました。

教授が疑問に思っていたことがありました。ドイツにいれば、文化や歴史が自然と深い関係にあることはよくわかります。でも、社会を動かすのに不可欠な政治や経済はどうでしょう。教授には、政治や経済が自然と親しい関係を築いてきたようにはどうにも思えませんでした。でも、もし政治や経済と自然を結び付けて考えてゆく事ができれば、社会を変えられるかもしれません。
そのためにはまず自然を理解しなくては。教授が科学者になろうと思ったのはこの時でした。

16さいになったころのことです。高校生向けの科学調査コンテストがニューヨークで開かれるとラジオで聞いたデイリー教授は、当時通っていた学校で化学を教えてくれていた大好きなホルムキスト先生にさっそく相談しにいきました。かのじょは高校で酸性雨の研究をして、コンテストにおうしたかったのです。
それに対して先生は「酸性雨の研究は難しいから」と、代わりに川のせんを調べることをすすてくれました。これが教授の初めての科学調査でした。雪の降る中あちこちに出向き、友達といっしょにゴムボートに乗って川沿いを移動し、工場のはいすいが流れ出ているようなパイプの横で水質調査を行う……まるでぼうけんのようでした。

コンテストには見事入賞。ニューヨーク行きのきっを手に入れました。科学調査の楽しさに目覚めた教授は、高校卒業後に故郷のカリフォルニアにある名門・スタンフォード大学に入学し、本格的に科学の道を歩み始めることになります。

初めての科学調査 16歳

初めての科学調査 16歳

たくさんの人たちと、フィールドワークとの出会い

大学でも、生物学を始めるきっかけをあたえてくれた、生態学者のポール・エーリック教授や、植物生態学者のハロルド・ムーニー教授など素晴らしい先生たちとの出会いがありました。
きょじんかたの上に立つ」という言葉があります。学問のあり方を示した言葉です。だれしも、たった一人で何かを成しげることはできません。「巨人の肩の上に立つ」ことで初めて先が見通せる……つまりたくさんの人たちが積み重ねてきた発見、研究、知見があればこそ、初めて新しい発見ができるということです。デイリー教授もまた、自分の役目はエーリック教授やムーニー教授、その他たくさんの研究者たちが築いてきた考え方をさらに発展させることだと自負しています。

先生たちだけでなく、友人たちとの交流も視野を広げてくれました。スタンフォード大学には世界中からゆうしゅうな若者が学びにやってきます。教授はそんな各国の学生たちとともにりょうに住み、友達のふるさとであるアフリカや南米の話を聞き、また旅をして、テレビや本ではわからないほど深く世界を知るようになりました。中でも5さい年上の青年ギデオンさんは仲の良い友達でしたが、いつの間にか好きになり…今ではしょうがいはんりょとしていっしょに暮らしています。

スタンフォード大学にて 1991年

スタンフォード大学にて 1991年

昔から好きだった科学調査は、自然の中でのフィールドワークという形で研究を大きく支えてきました。まずはアメリカ・コロラドの3,000メートルもの高い山の上にある研究所で、その後は中央アメリカ南部のコスタリカで、連日、自然の中で暮らしながらそこの生態系の仕組みについて研究を行ってきました。

妹と 22歳

妹と 22さい

こうした場所で教授がやってきたことは、そこに住むある生物のささやかな営みを細かく観察し、深く理解するという地道な作業のり返しです。この大きな地球の中ではほんの小さなことですが、それが地球全体のなぞを解き明かす糸口になる……そんな面白さが生態学の研究にはあるといいます。コスタリカでの研究は始めてから26年たった今でも続いています。

2. 人間が活動している場所にも自然はある

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グレッチェン・C・デイリー教授

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