2. 野生動物の王国、アフリカへ

自然の素晴らしさ、そしておそろしさ

スマトラに行った1972年は、ボルナー教授にとってもうひとつ、運命的な出会いがありました。ドイツのフランクフルト動物園の園長をしていた、ベルンハルト・グジメック博士との出会いです。

右端:グジメック博士 左から2番目:ボルナー教授(1982)

右端:グジメック博士 左から2番目:ボルナー教授(1982)

グジメック博士は1950年代から息子ミヒャエルとともにアフリカ・タンザニアのセレンゲティに入り、現地で生活しながらセスナ機を操って野生動物の数などの調査を行っていました。そこでの経験を書いた本「セレンゲティはほろびず」は映画化され、アカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞しました。世界中の多くの人に、アフリカのだいな自然について知らしめた人です。

ボルナー教授は、子どものころ、グジメック博士が作った野生動物のテレビ番組を毎回楽しみに見ていました。ボルナー教授はスマトラから帰ったあと、フランクフルト動物協会に入り、そのグジメック博士の元で働けることになったのです。「今でも信じられません」とボルナー教授はいいます。

グジメック博士は当時、タンザニアのビクトリア湖南西部のルボンド島という島を新しく国立公園にするため、手助けをすると言う約束をタンザニア政府と交わしていました。その手助けのために選ばれたのがボルナー教授でした。
1977年、ボルナー教授は家族とともに、フランクフルト動物協会のプロジェクト責任者として、タンザニアにけんされました。これが、ボルナー教授のアフリカでの最初の仕事でした。

ルボンド島でのボルナー教授の仕事は、動物の生態を調べることや、公園のかん員の訓練、監視員のためのせつや住居の建設計画など、国立公園の設立に必要な準備をすることでした。
当時のルボンド島はりつした辺境の地。暮らしは厳しいものでした。

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島で会うのはどうりょうと公園の監視員とその家族だけで、訪れる人もいません。電気もガスもありません。一番近い町まで最低でも1日かかり、買物は2ヶ月に1回しか行けませんでした。 一方でルボンド島は、家の前にはヤシの木が立ち並ぶビーチがあり、夜にはカバのあらい鼻息が一晩中聞こえ、鳥やちょうたちが美しい羽を羽ばたかせている、夢のように美しく素晴らしいところだったそうです。

ボルナー教授の子どもたち、長女のソフィさんと長男のフェリックスさんは物心ついたときから野生の大自然の中でのびのびと育つことができました。時には文明がこいしくなっても、素晴らしい自然の中で暮らせるのはボルナー教授と家族にとって幸せなことでした。

ルボンド島にて

ルボンド島にて
左:フェリックスさん 右:ソフィさん

ボルナー教授は一度ここで、チンパンジーにおそわれるというおそろしい体験をしています。写真をろうとしてチンパンジーの目をじっと見てしまい、群れのいっぴきが襲いかかってきたのです。
なんとかげだしてから、ボルナー教授は思いました。「あれは自分が悪かったんだ。人間同士と違って、野生動物の世界では相手の目を見るのはこうげき的なこうなのに。」

動物と何かトラブルがある場合は常に私たち人間の方に問題がある、かれらは遊び相手ではない、野生動物だということをしっかりと理解したうえで、敬意を払って接しなければならない……この時の経験から、ボルナー教授は学んだのでした。

果てしなく広がる平原、セレンゲティ

1983年、6年間のルボンド島での仕事を終えたボルナー教授は、セレンゲティ国立公園の整備と拡張のため、国立公園の中央に位置するセロネラというところに移ってきました。その後40年にもわたる、セレンゲティでの仕事の始まりです。

セレンゲティ国立公園の位置

セレンゲティ国立公園はタンザニアの北部にあります。その面積は14,760km²。日本の福島県よりも広く、ボルナー教授のふるさと・スイスの国土全体の1/3よりも広い、アフリカでも最大級の国立公園です。

セレンゲティ国立公園の位置

「セレンゲティ」はこの地の先住民族、マサイの言葉で「果てしなく広がる草原」という意味。その名の通り、大部分は広々とした草原で、150万頭のヌーをはじめとした様々な種類の約300万頭もの野生動物がいます。

太古の昔から、ここでは動物達が暮らしていました。時がたち、国立公園として保護されるようになり、グジメック博士の「セレンゲティはほろびず」によって世界中の人々に知られるようになりました。毎年たくさんの人々が野生動物を見にセレンゲティを訪れます。ボルナー教授がやってくる2年前の1981年には世界自然遺産にも登録された、タンザニアのほこる野生動物の王国です。

みつりょうの横行

当時、タンザニアの国内は、りんごくウガンダとのふんそうが終結したばかりで、暴力が横行して治安も乱れていました。また、その少し前には同じく隣国のケニアとの国境がふうされ、観光業が大きなげきを受けていました。セレンゲティ国立公園もそのあおりを受けて予算も設備もなく、そんな厳しいじょうきょうの中でボルナー教授は仕事をスタートすることになりました。
一番問題だったのは、野生動物の密猟です。

密猟には二種類あります。一つは、周辺地域の貧しい人たちが、自分たちの食料のために、野生のシマウマやヌーを殺すことです。しかし、シマウマやヌーはたくさんいるので、これはあまり問題ではありません。

問題は、高く取引されるぞうやサイの角をねらう、背後に大きな組織と大金が関わっている密猟です。タンザニア南部の別の動物保護区では、かつて10万頭のゾウがいたのに、数年間で3万頭にまで減ってしまったということがありました。

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まずボルナー教授はセレンゲティの財政を立て直すため、フランクフルト動物協会内で基金を立ち上げました。そして、国立公園のかん員達にきちんと給料を払い、制服や、車や無線機も整え、少しずつ国立公園の管理体制を立てなおしていきました。

セレンゲティサイかんプロジェクト

サイのように数が少ない、希少な動物は、みつりょうによって地域から姿を消してしまいます。
当時、ある密猟団が、セレンゲティ内のクロサイをほとんど殺してしまい、たった2頭のメスしか生き残らなかったことがありました。その後、セレンゲティから120kmほどはなれたンゴロンゴロ保全地域に生息していた数頭のクロサイのうちのオスが1頭やってきましたが、3頭ではすぐに数が増えるというわけにはいきません。

そこで、ボルナー教授達は、南アフリカから同じ種のクロサイを30頭ほど運び、数を増やす計画を立てました。人の手である種を復元しようというときには、全く同じ種でなければならないなど、厳しい決まりがあります。さまざまな困難を乗りえ、4年近くかかってようやく実現し、ついにクロサイをせた飛行機がセレンゲティにとうちゃくしたとき、ボルナー教授は感動で泣きました。

サイ帰還プロジェクト

サイ帰還プロジェクト

ボルナー教授たちの努力のかいもあって、現在はセレンゲティのクロサイは120頭ほどに増えました。ですが、油断はできません。きちんと保護していかなければ、またあっという間に減ってしまうからです。

実は近年、一時おさまっていた密猟の問題がまた深刻になっており、殺されるゾウやサイの数も再び増えています。アジアでぞうやサイの角のじゅようぜんとしてあることが背景にあるといわれています。国立公園はあまりにも広く、かん員がいくらがんばっても、全ての密猟を止めることはできません。

ボルナー教授は、世界中の消費者、つまり私たちが象牙やサイの角を「買わない」という意思をはっきり示すことが、この問題の解決につながるといいます。象牙やサイの角を欲しがる人がいなくなれば、それが裏で取引されることも、そして密猟によってゾウやサイが殺されることもなくなるからです。

じょうきょうを変えられるのは監視員ではない。私たちなのです。」そうボルナー教授は強くうったえています。

3. 私たち人間も自然の一部

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マルクス・ボルナー教授

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